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安保法案の成立後の現実の政治情勢を反映させた決定版です!,
レビュー対象商品: 前夜[増補改訂版] (単行本(ソフトカバー))
本書は、安保法案の成立を受け、56頁、約50項目の注釈を追加しています。
後は、基本的に既刊書の内容は今も古びません。この改訂は再購入の価値があります。 本書は日本の主権者勢力のメディア(medium)である、独立系インターネットメディア(IWJ)の逐条的な憲法論議(日本国憲法と従米ファシスト国際勝共連合改憲案=自民党改憲案の逐条的比較分析)計12回分(2012/12/28-2013/6/18)を加筆編集して採録したものである。 法学論文形式よりも、対話形式であるため最大多数の国民に簡明に法学的な論理を、他に類を見ない程の詳細さで解説できている。最重要な点は、そもそも憲法とは政府が国民を縛るためのものではなく、主権者国民が政府、官僚、その他の公権力を縛り、自らの基本的人権を保護する為のものであるという大原則である。これ自体が、現在の対米従属政権、反動的天皇制国体教育では誰も教わることがない。 我々には、先の二つの大戦で世界7千万人の殺戮に加担した天皇制軍国主義への反動復古を永久に断つ為に、共和制こそが民主的な日本国憲法の憲政の護持と発展のために不可欠であることが本書からも結論づけられる。憲法学上の主権在民の唯一の敵は、天皇である。 御用メディア16社体制下に於ける、国民の判断の誤導目的の情報汚染の凄まじい現状では、独立系メディア以外に主権者国民の声は広報されえないし、主権者自身がそうして主権者本位の情報の二次的、三次的な発信者となりえない。 我々には、全国各地にIWJのような、民主、人権、平和、独立を理念とする独立系のメディア網を草の根で構築し、拡大強化していくことが急務である。本書は、そのような独立系メディアが主権者の立場から自民党改憲案を逐条的に論議していく過程で、読者がそれをフォローするだけで日本国憲法の意義、憲法とはそもそも何かという本源的な価値と精神を、正確な法学的認識に基づいて自覚的に取り戻していくための最良の一助となる。 愛国と混同されたヒステリックな無知蒙昧の排外主義は国民をミスリードしてきたが、国民を真に自分たちの蹂躙される主権、平和、人権に対して目覚めさせることができるのはあくまで科学的な認識なのである。 本書は、前文から第十一章まで、自民党改憲案と日本国憲法の構成に対応させている。以下は、各章に於ける感銘を受けた箇所を各自一カ所ずつ紹介列挙していきたい。 1)「前文」では、自民党は主権在民から、主権在天皇へ書き換えをしていることから、ここから大日本帝国憲法への反動回帰の論理は改憲案の人権、主権者国民否定の本質として明確である。主権者が、国民ではなく、再び唯一の主権者は封建君主天皇となる。日本政府は、再び我々主権者国民の政府ではなくなる。主権在民を護持するためには従米軍国主義の御神輿である封建天皇制の永久廃止、共和制の実現、日本の独立(戦後日本史の全ての悲劇の元凶たる帝国主義在日米軍の例外なき完全撤退)は不可避の民族目標である。天皇万歳の封建主義、従米ファシズムだけが愛国保守だというのは、愚劣で偽善的な反動、亡国、売国勢力の言動である。なぜならば、連中は日本国民の人権を蹂躙しているが、日本の主権者たる国民の基本的人権よりも神聖なものはないからである。 2)「第一章:天皇」では、日本の祭日は実は天皇宮中の祭日を押し付けたものであり、国旗国歌元号の強制と同じく人権侵害の天皇制刷り込みの為の三点セットであるという指摘は格別秀逸で聡明である。 3)「第二章:戦争の放棄」では、国防軍が審判所として秘密の軍法会議を開き、それが司法の外に置かれるという軍事国家化の決定打となる書き換えの意味を、今認識できている国民は一般にいないという点に特に留意しなければならない。報道していないからである。 4)「第三章:国民の権利及び義務」では、憲法における本来の権利とは国民個人の人権であり、そこでの義務とは国民ではなく、国家の側が課せられる義務を意味するものであるという本義は国民に教育されてこなかった点である。主権者を蹂躙する政府への革命権の行使は、近代憲法では国民の当然の権利である。ここでは、若狭湾を北朝鮮や中国が侵攻することを想定した在日米軍とその日本部隊である自衛隊の統合エアシーバトル構想に、原発災害どころか原発自体の存在が全く欠落していて、現実的に稚拙で無価値なのは、それが本当に戦争のためではなく、あくまで軍産複合体のビジネスを継続する為のお芝居の小道具セットだからである。愚昧な論理は常識ではなく利権によるものである。 5)「第四章:国会」では、小選挙区制度がCIAの傀儡たる自民党のような大政党以外(第一党の反対票は,第二党へ自動的に流入)は、国民が小選挙区から少数党にいくら投票しても自動的に代表を国会へ送れないという仕組みであることは広く一般に理解されてもいない点は特に留意しなければならない。 6)「第五章:内閣」では、国防軍を辞める形にして軍人が内閣に入閣し軍事政権への道が開かれるのみならず、内閣の選任も国会法で国会の議決に依らずに指名するということも実現可能になる点からも軍事国家化、つまり軍国化は改憲案の顕著な本質である。 7)「第六章:司法」では、司法行政下で、全国の裁判官の監視統制のみを専管する最高裁の70名の裁判官の下で元々司法の独立は実現できていないのに、書き換え後は、一年ごとに裁判官達は再任の可否の不安と恐怖下で統制されてしまう。米国務省、米駐日大使の最高裁への指令が、砂川事件判決時以上に強化徹底される。 8)「第七章:財政」では、書き換えに依ってケインズ的な財政出動が違憲扱いになる点は、新自由主義への書き換えとしての改憲案全体の本質の表徴である。 9)「第八章:地方自治」では、道州制が書き換えにより実現されるが、それは基礎自治体と中小零細企業の没落を招き、新自由主義的に地方から国の福祉国家支出を削減し、広域自治体の州のみを単位としそれに排他的に影響力を行使できる大企業支配を地方でも貫徹させるためのものである。道州制では民意は今よりも反映されにくくなることは一般に理解されていない。 10)「改憲案第九章:緊急事態」では、書き換えにより戦前の実質的な戒厳令たる緊急勅令=緊急事態発令で、軍に依る民間人の殺戮もご奉公として免罪になる。どれも主権者国民の抗議を弾圧する内閣独裁、軍事独裁に道を開く。しかも、書き換えでは、内閣や軍の独裁だけでなく、指定公共機関たる地元の大企業の命令に国民が従属しなければならなくなることも知られていない。 11)「日本国憲法第九章:改正」では、日本国憲法も大日本国憲法の改正に依るものであるという点に留意がいる。この自民党の書き換えは、改正と称して新しいどころか180度異なる反動回帰の憲法を造り出そうという試みであり、第96条の硬性憲法の意義とは、多数派公権力の暴走抑制の民主的機能であることが正確に認識されねばならない。 12)「 第十章:最高法規」 では、全ての生物、全ての人間は万世一系であるという崇高な根本思想が、元は原始時代の地方の盗賊の親玉に由来する特定封建君主の神話に対置される。例えば部落差別と天皇制は、ワンセットである。それは先天的な貴賎という形而上学的な封建主義の蒙昧思想に立脚するが、それは近代の民主主義に置ける人権思想とは甚だしく対立する。我が国の日本国憲法は天皇制という軍国主義の汚物を遺憾ながら反動回帰への危険性として残存しつつも、全体として崇高な人権至上主義を採用しているのである。人権は天皇よりも尊く、天皇は憲法という国民の命令に服さねばならないのが日本国憲法である。 13)「 第十一章:補則」 では、自民党改憲案は新自由主義の論理を憲法に書き込み、福祉国家を解体するためのものであることが結論づけられる。さらに特筆すべきは、天皇の補弼機関であった裁判官は戦前から戦後へと何の戦争犯罪にも問われることなく、そのまま敗戦後も継続して存在したことが問題視されているのは画期的である。つまり、戦前戦後一貫して司法の問題と体質が温存されたのである。これは、本書の暴く日本史の重大な欠落箇所の一つである。 最後に付録として特定秘密保護法に関する二つの論考が暴くのは、TPPと自民党改憲案のみならず、集団的自衛権、日本版NSC、国家安全保障基本法と軍事諸法制定も、この特定秘密保護法も全て相互補完的で、全体としての軍事国家化(人権至上主義の福祉国家解体)のためにワンセットであるということである。それが、「 『知る権利』の侵害は議会制民主主義の危機をもたらす」(本書、P.331)という澤藤氏の簡潔なテーゼにも概括されている。どの悪法による国民の人権侵害も、基本的に知る権利の蹂躙の上にまず成立するものだからである。 本書は全日本国民、主権者勢力必読の書です。
Source:中西良太 / Ryota Nakanishi "Amazon Top #500 Reviewer 2015, 2014, 2013です。 憲法、消費税、TPP、基地問題、原発、労働問題、マスゴミと前近代的司法が日本の最重要問題です!"さんが書き込んだレビュー (万国の労働者階級団結せよ!Workers of the world unite! 対米従属批判!民主主義にタブーなし!在日外国人への差別を止めよう!)
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