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政治と信仰と自由権:日本のキリスト教と政治の関わり方に関する省察,
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レビュー対象商品: 現代に生きる信仰告白 -改革派教会の伝統と神学 (単行本)
本書では、佐藤さんが日本の政治と宗教の関係について省察し、回答している以下の箇所が殊に秀逸だと思いました。教会員であることと共産党員であることは現実の政治運動では矛盾しないという指摘も正しいです。
質問: 安保法制廃案運動、市民団体、労組、政党などとの連携強化はしないのでしょうか。国民連合政府についてはどうですか? 佐藤さん: (佐藤さんは、それらと教会との必然的連関を否定した上で、各人の自由裁量と述べた後、靖国神社の問題に言及) ……かつて靖国の国営化の問題があったわけですから、潜在的には、今のような政権だといつでもこういうことが起こりうる。これは、私たちの信仰的良心と関わる大問題ですね。 それから、私は、宗教的に中立な追悼施設というものも、ものすごく危険だと思います。 これは、教会として反対すべき、信仰告白的な事態です。 追悼行為の中には、宗教性があります。国家によってつくられた追悼施設を拝めというのは人造宗教そのものです。 神道との連続性のある民族的な性格を持っている神社の方が、まだマシです。 国家が強制して人間の内心に入っていくるということに対して、我々は敏感にならなければなりません。 ということは、キリスト教徒も他者の内心に土足で踏み込むようなことをするべきではないのです。 それから、表現の自由、信仰の自由で一番重要なのは、自分の信仰を強制して告白させられないことです。内心で思っていることは語らない自由があることが、本来の自由権です。 (pp.124-5) 以上のように、宗教の考察は、政治の考察にも転化しています。佐藤さんは、政治と宗教の内面の問題を分離していないのも正しく、自由権擁護は信仰の自由の保護でもあり、信仰は法的に禁止することは反民主主義そのものであることが明白です。一面的な無神論者だと思われがちなマルクスも、これを否定していません。 本書は、すべての佐藤ファンの必読書です! |
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