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Monday, June 9, 2014


 国際政治と国内政治の新解釈の試み:帝国と帝国主義の差異、草の根運動=マルチチュードVS.原子力国家、公共とコモンの差異、議会制民主主義から絶対的民主主義への展望2014/3/16
レビュー対象商品: ネグリ、日本と向き合う (NHK出版新書 430) (新書) 対米従属批判論者の中西良太さんのアマゾンレビューより
 本書に於いてネグリと日本の主権者側の論客達は、日本と世界の政治状況に新たな哲学的解釈を提供している。例えば、戦後帝国主義は現在も継続しているが、彼らは帝国主義時代は終焉したとし、代わりに超国民国家的な多国籍企業や各国の傀儡的な政権や官僚、メディア勢力が癒着した世界的な統治のネットワークの全体を帝国として定義し、アメリカ帝国主義という概念の内包と外延を豊富にしている。

 また、彼らの言うマルチチュードは草の根運動に代表される不特定多数の主権者国民による新しい闘争形式(例としてはwall街占拠運動、アラブの春、脱原発運動)であり、政党や労組や英雄依存型の旧来の政治闘争方式に代わるものを指している。またネオリベはコモンの民営化という私有化、公共財の独占化であり、公共と言う日本的概念は、公は官益を追求する政府と官僚という特殊利権なので、共を分離しコモンに等値の概念とするのも新たな哲学的試みである。さらにコモンとは共に良く生きるための公共財やコミュニケーションの組織ネットワークなどを具体的に指し、弱肉強食のネオリベに対置される本来の人間的生き方の在処であり、それが目下ネオリベ勢力により解体中であり、主権者国民の草の根の運動の担い手達により発展中なのである。

 問題は、やはり共和制も含め既存のブルジョア議会制が排他的な代表制であり、それは絶対的且つ直接的な民主制(絶対的民主主義、直接民主主義)に対立し、むしろ全市民の政治参加を抑制する手段として批判され、絶対民主主義が最終的な政治体制であることが正しく指摘されている。ただし、現在は物質的労働が知的労働に席を譲り、後者が労働者を資本への隷属から自己解放する能力を提供するとし、その担い手は非正規労働者(プレカリアート)たちであるとされるが、日本的雇用システムの現況と特殊性は捨象されている。なぜならば、海外では正規と非正規の別はなく、同一労働同一賃金原則遵守の職務給社会だからである。また非正規労働者(プレカリアート)は、物質的労働と知的労働の職種の別なく、工場の枠に囚われず広範に存在しているという内訳も重視するべきである。

 それから、国策として核政策を推進し、それを補う為に原子力を営利化している原子力国家は、同時にネグリ的な帝国の現象であり、脱原発は脱帝国の一致した方向性での戦略的闘争であるべきとの提言は精確な分析による。さらに、日本的な欺瞞に満ちたレトリックを分析して、核と原子力という本来の同義語を使い分ける点を批判しているのも正しい。

 私が本書を熟読して感動したのはネグリによる新たな戦う労働者像=個人としての草の根運動家たちの理想像の提示であり、反権力の構築の方図に関する提言である。

「…オルタナティブは、国家構造に対する民主的な反抗を通してだけでなく、労働者が諸処の技術を自分のものにする再所有化と再価値化を通したオルタナティブである。これは、ポスト産業時代における新しい編成の労働力、より非物質的でより認知的になった労働力によって可能になる転換である。非物質的で認知的な労働のオペレーター達に依って可能になる転換と言ってもいい。」(P.166)

「…この反権力が構築されうるのは、それまでは機械に従って作業していた労働者が、その機械が持つ能力を自分のものにしているからである。」(P.181)

 ただし、あくまでマルチチュードと政治権力との接続方法は模索の状態であり、新たな労働者像もあくまで資本主義的生産関係(労使関係)の範疇を物質的に否定し且つ超越するものではない。ネグリの哲学的な現実解釈は、政治的現状と趨勢を分析理解する助力となるが、あくまで現実を変えるのがマルチチュード(多様性の集合体としての草の根運動)の現実的役割である。

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