戦争イデオロギーの正体:国家に戦争へ駆り出されないための日本国民の必読書!, 2015/8/8
レビュー対象商品: 国家のエゴ (朝日新書) (新書)
戦後70周年で、反知性主義の安倍政権は、集団的自衛権(実際は、日本の個別的自衛権の範疇の言い換え)閣議決定も、安保法制(実際は、集団的自衛権がこうしできない仕掛けがされている閣議決定をもって、それを行使できる法制を議論している)も、特定秘密保護法(治安維持法よりも、軍旗保護法や国防保安法の系譜にある。特定官僚に依る情報独占が問題)も日本版NSC(戦争決定機関)の附則として準備してきたが、専守防衛以外の侵略的戦争実行可能な要点は他ならぬ、日本版NSC設置法である点が正確に指摘されています。
本書では、佐藤さんは軍国主義の特攻や玉砕のイデオローグとなった田辺元を批判的に超克しています。そして、二つの重要な問いをこの度戦争に就いて正面から真剣に考える柱としています。また、日本国民は教育上、無知にされてきた重要な法概念が、戦時国際法です。そこでは、戦闘員以外への市民への攻撃は禁止されています。しかし、第二次世界大戦では連合国も非戦闘員の無差別殺戮を繰り広げ、未だ糾弾されていません。この点から観ると帝国主義の連合国側の非も明白に理解できます。
一つ目の問いとは、日本で戦争をすることを決めるのは誰か?
此れは、佐藤さんによるとずばり、日本版国家安全保障会議です。戦争をするか否か、勿論侵攻も含めてですが、この決定権は彼らが掌握する体制が成立しています。しかし、実際は有事では米軍太平洋艦隊司令官の指揮下に日本は入り、その傭兵として動きます。
二つ目の問題は、戦争に国民を駆り立てる国家という名の官僚制機構(ブルジョア社会では、ブルジョアジーの行政機構)が利用するのが、死者との連帯の思考です。これは、特定の愛する個人や家族の死者というよりも、歴史修正主義の反知性的な政治家達の靖国参拝に代表される様な戦没した不特定多数の英霊全体なるものとの連帯感、大いなる民族的価値との自分の連帯に死を超えた価値を観る観点です。例えば、日中戦争を継続させたのは、不特定の戦没者の存在、それらとの連帯を口実にした東条でした。敗戦時の阿南も同様の論理で、講和反対を貫こうとしました。特定の愛する家族ではなく、不特定の観念としての死者や国体や神といった抽象の為の戦争肯定という価値観の操作がありました。
佐藤さん:国民を兵士として、あるいは戦争支持者として動員するには、人間の精神にどのような働きかけを行うのか? (中略)
国家や歴史、救済といった“大いなるもの”と死者とを結びつける方向で、「死者との連帯」を行うと、人を殺す事に抵抗を覚えなくなるような思想を生み出す場合がある。(92-93ページ)
佐藤さんは、戦中の倫理学の権威であった田辺元の哲学がこうした戦時精神発揚のイデオロギーであると鋭利に指摘され、田辺自身の言を引用して、間違いであると否定しています。正にその通りです。彼は、民族国体の永久性を説いて、その大いなるもののための個人の死に価値を見いだしました。しかし、田辺自身は学生達に玉砕特攻の大義を説いていながら、当時の各国大使館が避難していた安全地帯である軽井沢に逃避しました。これが、そのような戦争イデオロギーの正体(歴史的現実)なのです。
本書は、戦後70年のこの夏に戦争を真剣に考える全日本国民の必読書です。
本書では、佐藤さんは軍国主義の特攻や玉砕のイデオローグとなった田辺元を批判的に超克しています。そして、二つの重要な問いをこの度戦争に就いて正面から真剣に考える柱としています。また、日本国民は教育上、無知にされてきた重要な法概念が、戦時国際法です。そこでは、戦闘員以外への市民への攻撃は禁止されています。しかし、第二次世界大戦では連合国も非戦闘員の無差別殺戮を繰り広げ、未だ糾弾されていません。この点から観ると帝国主義の連合国側の非も明白に理解できます。
一つ目の問いとは、日本で戦争をすることを決めるのは誰か?
此れは、佐藤さんによるとずばり、日本版国家安全保障会議です。戦争をするか否か、勿論侵攻も含めてですが、この決定権は彼らが掌握する体制が成立しています。しかし、実際は有事では米軍太平洋艦隊司令官の指揮下に日本は入り、その傭兵として動きます。
二つ目の問題は、戦争に国民を駆り立てる国家という名の官僚制機構(ブルジョア社会では、ブルジョアジーの行政機構)が利用するのが、死者との連帯の思考です。これは、特定の愛する個人や家族の死者というよりも、歴史修正主義の反知性的な政治家達の靖国参拝に代表される様な戦没した不特定多数の英霊全体なるものとの連帯感、大いなる民族的価値との自分の連帯に死を超えた価値を観る観点です。例えば、日中戦争を継続させたのは、不特定の戦没者の存在、それらとの連帯を口実にした東条でした。敗戦時の阿南も同様の論理で、講和反対を貫こうとしました。特定の愛する家族ではなく、不特定の観念としての死者や国体や神といった抽象の為の戦争肯定という価値観の操作がありました。
佐藤さん:国民を兵士として、あるいは戦争支持者として動員するには、人間の精神にどのような働きかけを行うのか? (中略)
国家や歴史、救済といった“大いなるもの”と死者とを結びつける方向で、「死者との連帯」を行うと、人を殺す事に抵抗を覚えなくなるような思想を生み出す場合がある。(92-93ページ)
佐藤さんは、戦中の倫理学の権威であった田辺元の哲学がこうした戦時精神発揚のイデオロギーであると鋭利に指摘され、田辺自身の言を引用して、間違いであると否定しています。正にその通りです。彼は、民族国体の永久性を説いて、その大いなるもののための個人の死に価値を見いだしました。しかし、田辺自身は学生達に玉砕特攻の大義を説いていながら、当時の各国大使館が避難していた安全地帯である軽井沢に逃避しました。これが、そのような戦争イデオロギーの正体(歴史的現実)なのです。
本書は、戦後70年のこの夏に戦争を真剣に考える全日本国民の必読書です。
Cited:
中西良太 / Ryota Nakanishi "Amazon Top #500 Reviewer 2015, 2014, 2013です。 憲法、消費税、TPP、基地問題、原発、労働問題、マスゴミと前近代的司法が日本の最重要問題です!"さんが書き込んだレビュー (万国の労働者階級団結せよ!Workers of the world unite! 対米従属批判!民主主義にタブーなし!在日外国人への差別を止めよう!)
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