良質の芸大スタジオ作品集:芸大八期生達による映画的実験は成功したのか?, 2015/8/2
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レビュー対象商品: DVD>東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第八期生修了作品 () (単行本)
私は、本製品はまずDVD部門に分類されるべきであると予々思ってきました。
本製品は映画5本集であり、映画そのものズバリだからです。
私のお目当ては、曾ての同級生の松井一生君の『ユラメク』という60分の修了作品です。
業界でも作品を続ける松井宏樹君による撮影は、ショット単体として壮麗です。
第七期の助監督である遠藤君(製作兼任)や次回作2作を控える坂下君のフォローも良かったのだと思う。
同級生同士で、業界でも継続して合作していくのが映画学校の理想形であり、今後のご活躍に期待したい。
本作は、ジャンルとしてはドラマやミステリーになるが、アクション行為に依る展開ではなく、立話的な印象が強かった。
編集も、紙芝居のシートの切り替えに類似した当たり障りのない通常よりも極少的に抑制されたものだった。ただし、メトリックなモンタ―ジュでもないし(例:内容無視で2秒ごと編集)、一台なので同一アクションの異なるサイズの高度なコンティニュアティーを追求するアメリカ式編集でもないし、極端なサイズとアングル変化で、パズルの様なツギハギのアクションの接合部をごまかしてつないでいくCMやテレビの編集とも異なっていた。むしろ、場ごと切り替える傾向が強かった印象である。
肝心のドラマの内容は、シュールすぎて私は正直あまり全体が把握できなかった。確かに渡邊奈緒子は美女である。
ここでは、松井君のダークな好みが全面に出ていたと思う。その点は、ニューシネマ的な価値で撮った影響だと思う。
結果として密室の暗い立ち話的なものの印象を作品の構成自体が与える結果になってしまっている。
他の修了作品にも言えるが現実の今の社会問題に触れるには、キーワードの挿入だけでは不十分で、描いたことにはならないことも分かる。再び、抽象的な個人間の葛藤に焦点がいき、社会全体が縮図というよりも忘却されている。私も観ていて忘れた。
黒沢さんのコメントを引用する。
黒沢さん:霧の中からいったんは奪い返した日常を、最後に捨て去る者、自らの死を自覚しつつも、工場の墓場から旅立っていく者、すすんで崩壊の中にとどまり、そこから未来へ繋がろうとする者、“海外”と呼ばれる場所は地獄でしかないと知りつつ、そこへ赴こうとする者、そして、都会のビルの一室に作られた理想郷を身を挺して告発する者、こういった人々が藝大第8期修了制作作品の主旋律を奏でている。私はもう10年近くこの催しに立ち会ってきたが、こんな年は初めてである。それぞれまったく異なったアプローチの作品でありながら、どれもギョッとするほど共通性のあるテーマに立ち向かっているのだ。それは“未来は暗澹たるものなのかもしれない予感”というテーマである。今が一番幸せと微笑む者もいないし、退屈だと言って暇をもてあます者もいない。いるのは、ただ一心不乱に上記のようであろうとする者たちだ。彼らは口をそろえて「今という世界は間違っている」と断言する。そして彼らは、かつてあったかもしれない安全な日常に回帰することをきっぱりと拒否し、それぞれのやり方でこの忌まわしい“今”を振り切って走り出そうとする。全作品を見終って、私は完全に納得した。やはり若者こそが、世界で最も聡明な存在だったのだ。
(公式サイトより)
今後の芸大スタジオ作品にも期待しているが、7期以降はまたアートフィルムの路線へ退行してしまっただけでなく、原作小説便乗戦略を廃棄したり、オリジナル開発や配給の致命的縮小がとても遺憾である。伝統的な、蓄積された諸成果は温存し、発展させなくては組織は駄目である。新規生達は、ただ過去のものをそのまま棄てるを総括なしに繰り返していくと、何も経験が蓄積しないし組織としては誤りである。
その弊害が如実にみられるが誰か有効な策をこうじているとも思えない。
芸大スタジオの今後の成功に期待する。それは、単にどこかで個人が賞をとるとかいうレベルの低い次元の成功ではなく、既述の諸問題を解消する組織的な改革の諸成果である。
とにかく恩義ある松井君の修了作品を購入、鑑賞できてよかったし、修了おめでとうと祝福したい。
本製品は映画5本集であり、映画そのものズバリだからです。
私のお目当ては、曾ての同級生の松井一生君の『ユラメク』という60分の修了作品です。
業界でも作品を続ける松井宏樹君による撮影は、ショット単体として壮麗です。
第七期の助監督である遠藤君(製作兼任)や次回作2作を控える坂下君のフォローも良かったのだと思う。
同級生同士で、業界でも継続して合作していくのが映画学校の理想形であり、今後のご活躍に期待したい。
本作は、ジャンルとしてはドラマやミステリーになるが、アクション行為に依る展開ではなく、立話的な印象が強かった。
編集も、紙芝居のシートの切り替えに類似した当たり障りのない通常よりも極少的に抑制されたものだった。ただし、メトリックなモンタ―ジュでもないし(例:内容無視で2秒ごと編集)、一台なので同一アクションの異なるサイズの高度なコンティニュアティーを追求するアメリカ式編集でもないし、極端なサイズとアングル変化で、パズルの様なツギハギのアクションの接合部をごまかしてつないでいくCMやテレビの編集とも異なっていた。むしろ、場ごと切り替える傾向が強かった印象である。
肝心のドラマの内容は、シュールすぎて私は正直あまり全体が把握できなかった。確かに渡邊奈緒子は美女である。
ここでは、松井君のダークな好みが全面に出ていたと思う。その点は、ニューシネマ的な価値で撮った影響だと思う。
結果として密室の暗い立ち話的なものの印象を作品の構成自体が与える結果になってしまっている。
他の修了作品にも言えるが現実の今の社会問題に触れるには、キーワードの挿入だけでは不十分で、描いたことにはならないことも分かる。再び、抽象的な個人間の葛藤に焦点がいき、社会全体が縮図というよりも忘却されている。私も観ていて忘れた。
黒沢さんのコメントを引用する。
黒沢さん:霧の中からいったんは奪い返した日常を、最後に捨て去る者、自らの死を自覚しつつも、工場の墓場から旅立っていく者、すすんで崩壊の中にとどまり、そこから未来へ繋がろうとする者、“海外”と呼ばれる場所は地獄でしかないと知りつつ、そこへ赴こうとする者、そして、都会のビルの一室に作られた理想郷を身を挺して告発する者、こういった人々が藝大第8期修了制作作品の主旋律を奏でている。私はもう10年近くこの催しに立ち会ってきたが、こんな年は初めてである。それぞれまったく異なったアプローチの作品でありながら、どれもギョッとするほど共通性のあるテーマに立ち向かっているのだ。それは“未来は暗澹たるものなのかもしれない予感”というテーマである。今が一番幸せと微笑む者もいないし、退屈だと言って暇をもてあます者もいない。いるのは、ただ一心不乱に上記のようであろうとする者たちだ。彼らは口をそろえて「今という世界は間違っている」と断言する。そして彼らは、かつてあったかもしれない安全な日常に回帰することをきっぱりと拒否し、それぞれのやり方でこの忌まわしい“今”を振り切って走り出そうとする。全作品を見終って、私は完全に納得した。やはり若者こそが、世界で最も聡明な存在だったのだ。
(公式サイトより)
今後の芸大スタジオ作品にも期待しているが、7期以降はまたアートフィルムの路線へ退行してしまっただけでなく、原作小説便乗戦略を廃棄したり、オリジナル開発や配給の致命的縮小がとても遺憾である。伝統的な、蓄積された諸成果は温存し、発展させなくては組織は駄目である。新規生達は、ただ過去のものをそのまま棄てるを総括なしに繰り返していくと、何も経験が蓄積しないし組織としては誤りである。
その弊害が如実にみられるが誰か有効な策をこうじているとも思えない。
芸大スタジオの今後の成功に期待する。それは、単にどこかで個人が賞をとるとかいうレベルの低い次元の成功ではなく、既述の諸問題を解消する組織的な改革の諸成果である。
とにかく恩義ある松井君の修了作品を購入、鑑賞できてよかったし、修了おめでとうと祝福したい。
Cited:
中西良太 / Ryota Nakanishi "Amazon Top #500 Reviewer 2015, 2014, 2013です。 憲法、消費税、TPP、基地問題、原発、労働問題、マスゴミと前近代的司法が日本の最重要問題です!"さんが書き込んだレビュー (万国の労働者階級団結せよ!Workers of the world unite! 対米従属批判!民主主義にタブーなし!在日外国人への差別を止めよう!)
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