対米従属の正体は、敗戦隠しと米国のおかげで免罪となった軍国主義勢力による自主的隷属, 2014/7/9
Amazon.co.jpで購入(詳細) 対米従属批判論者の中西良太さんのレビューより
レビュー対象商品: atプラス16 (単行本(ソフトカバー))
本書では、孫崎さんと白井さんの対談が目玉です。対談では、対米従属の構造が分析され、問題は敗戦隠しと戦前の利権の維持拡大を今も継続している日本の支配層が、米国による恩恵で免罪になった対米隷属レジームに固執している点が元凶であり、日本の主体性の獲得は、それが親米か反米かに関わらず、米国による排斥の的であるという秀逸な分析結果がなされています。
幾つかの要諦を紹介する。両者の名著の執筆の動機は、共通していて、どちらも鳩山政権の崩壊が契機となっている。また、両者とも反米という排外主義のスタンスに反対している点も無視してはならない。排外主義では帝国主義には勝てない。相手国の民主勢力との共闘なしに敵の打倒は不可能だからである。
日本における米国は、直接邪魔者を消さないのは、海外の事例のように米側が直接敵を抹殺する必要がない構造ができているからである。彼らは、ただこの人間は好ましくないと伝えれば、日本の方で排除する仕組みができているからである。(43ページ参照)
小沢さんへの人物破壊を例にして両者は、米側は日本の主体性を望まず、そうするともう一度敗戦時のように大規模な工作をして、対米隷属構造を構築せねばならぬから、彼一人を抹殺する方を選んだのである。ここで、白井さんの分析は、正鵠を射ている。今の日本は、「間接統治されていることを意識していない植民地」(44ページ)であると正確に定義されている。自民党政権は、まさに宗主国の代官、代理人である。次が、最も核心的な命題であり、忘却されてはならない。たとえ、日本が対米隷属を脱却しても、米国はそれをもう一度工作で引き戻そうとするが、なぜなら「その主体性が親米的なものであれ、主体性そのものが許容できないものだということ」(44ページ)だからである。
また、孫崎さんは御自身の旧著における官僚主体の政策決定論を否定し、修正されており、ついでに彼がフォークランド紛争において日本が英国に隷従せず、アルゼンチンへの制裁を拒否した自主外交と、パナマ侵攻における対米卑屈外交を対比されている点が重要である。そこでは、個別の問題でどうあるべきかという論理が廃れ、単に英国かアルゼンチンかで英国を選ぶということになってしまう点が思考の退廃(正義よりも大国を選ぶ)であることが批判される。
また、日本本土の戦後の民主は擬制で、その冷戦期におけるあるべき真の姿は軍事政権に統治された沖縄にこそ見られるという見解は正しい。戦後日本の本質的な姿は沖縄にこそ具現化されていたのである。
そして、米国が紛争を自制するように、今日本に求めているのは、紛争が起きれば、米国は日本のために防衛義務があり、反撃するという安保神話が崩壊するためという分析も説得力十分である。
孫崎さんは、曾てのTPP反対論者たちが安倍政権にすり寄っている現状を分析して、それは、市場経済的な打算ではなく、日本社会における勝ち馬(当然、現行体制のこと)に乗って生存しようというエゴからであると精確に判断されている。
ネオリベラリズムは1%の多国籍大企業の大ブルジョアジーのプロレタリアへの階級闘争であり、それは、日本型雇用システムの悪を純化しブラック企業現象を生んだが、トリクルダウンやナショナリズムをネオリベラリズムは悪用しプロレタリアートをその利害に反して味方に付けている。それは、1985年から日本で本格化したが、中間組織の解体、弱体化を主たる特徴としている。また、農業面では、補助金のバラマキと奪い合いとなり、本質的な農業生産様式の見直しや国土保全などの問題が疎かにされる傾向があり、それは、ネオリベラリズムのFTA推進に有利な状況を生むだけである。
本書では、問題は日本側にあり、日本人自身が主体性を放棄することを選んでいる事が分かる。これでは、駄目である。日本の自主独立こそが念願であり、それこそが連合国への真の勝利なのである。
本書は、全日本国民必読の書です。
幾つかの要諦を紹介する。両者の名著の執筆の動機は、共通していて、どちらも鳩山政権の崩壊が契機となっている。また、両者とも反米という排外主義のスタンスに反対している点も無視してはならない。排外主義では帝国主義には勝てない。相手国の民主勢力との共闘なしに敵の打倒は不可能だからである。
日本における米国は、直接邪魔者を消さないのは、海外の事例のように米側が直接敵を抹殺する必要がない構造ができているからである。彼らは、ただこの人間は好ましくないと伝えれば、日本の方で排除する仕組みができているからである。(43ページ参照)
小沢さんへの人物破壊を例にして両者は、米側は日本の主体性を望まず、そうするともう一度敗戦時のように大規模な工作をして、対米隷属構造を構築せねばならぬから、彼一人を抹殺する方を選んだのである。ここで、白井さんの分析は、正鵠を射ている。今の日本は、「間接統治されていることを意識していない植民地」(44ページ)であると正確に定義されている。自民党政権は、まさに宗主国の代官、代理人である。次が、最も核心的な命題であり、忘却されてはならない。たとえ、日本が対米隷属を脱却しても、米国はそれをもう一度工作で引き戻そうとするが、なぜなら「その主体性が親米的なものであれ、主体性そのものが許容できないものだということ」(44ページ)だからである。
また、孫崎さんは御自身の旧著における官僚主体の政策決定論を否定し、修正されており、ついでに彼がフォークランド紛争において日本が英国に隷従せず、アルゼンチンへの制裁を拒否した自主外交と、パナマ侵攻における対米卑屈外交を対比されている点が重要である。そこでは、個別の問題でどうあるべきかという論理が廃れ、単に英国かアルゼンチンかで英国を選ぶということになってしまう点が思考の退廃(正義よりも大国を選ぶ)であることが批判される。
また、日本本土の戦後の民主は擬制で、その冷戦期におけるあるべき真の姿は軍事政権に統治された沖縄にこそ見られるという見解は正しい。戦後日本の本質的な姿は沖縄にこそ具現化されていたのである。
そして、米国が紛争を自制するように、今日本に求めているのは、紛争が起きれば、米国は日本のために防衛義務があり、反撃するという安保神話が崩壊するためという分析も説得力十分である。
孫崎さんは、曾てのTPP反対論者たちが安倍政権にすり寄っている現状を分析して、それは、市場経済的な打算ではなく、日本社会における勝ち馬(当然、現行体制のこと)に乗って生存しようというエゴからであると精確に判断されている。
ネオリベラリズムは1%の多国籍大企業の大ブルジョアジーのプロレタリアへの階級闘争であり、それは、日本型雇用システムの悪を純化しブラック企業現象を生んだが、トリクルダウンやナショナリズムをネオリベラリズムは悪用しプロレタリアートをその利害に反して味方に付けている。それは、1985年から日本で本格化したが、中間組織の解体、弱体化を主たる特徴としている。また、農業面では、補助金のバラマキと奪い合いとなり、本質的な農業生産様式の見直しや国土保全などの問題が疎かにされる傾向があり、それは、ネオリベラリズムのFTA推進に有利な状況を生むだけである。
本書では、問題は日本側にあり、日本人自身が主体性を放棄することを選んでいる事が分かる。これでは、駄目である。日本の自主独立こそが念願であり、それこそが連合国への真の勝利なのである。
本書は、全日本国民必読の書です。
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