Sunday, July 20, 2014


尖閣諸島は1895年まで元来中国領であった!軍国主義政府の欺瞞を反証した故井上清教授の国際的名著! 対米従属 Slavish Obedience to the U.S. 批判論者の中西良太さんのレビューより     
July 20, 2014
By 中西良太 / Ryota Nakanishi TOP 500 REVIEWER
Format:新書|Verified Purchase
本書では、軍国主義政府の欺瞞が徹底的に反証されており、現在日本領の尖閣諸島が古来より中国と外国の境界を成していた史実が証明されている。

また、尖閣諸島という呼称自体が1900年に帝国政府海軍によって英語のPinnacle Islandsの音訳として命名された以前は、全て中国語表記であったし、今でも島嶼名では中国語の名称が海保によっても使用されている。

最大の謎は、本当に1895年の日清戦争時に、帝国政府が外国の支配の及ばぬ無主地と認識して、帝国主義の先占の法理によって領土編入したか否かである。

その答えは、帝国政府の公式の見解とは裏腹に、真逆のものであった。井上先生が、立証されたし、史実によれば、当時アホウ鳥を尖閣諸島で捕獲して金儲けをしていたプチブル古賀辰二郎が、1885年、内務省に釣魚島の沖縄県への編入を内務省に進言した。そして、内務省はこの島を領有するべく沖縄県に調査を依頼した。そこで、沖縄県はなんと、「そこは中国領かもしれない」とためらったのである。そして、外務省も(尖閣諸島は琉球領ではなかったので)清の抗議を懸念し、即時編入に反対し、内務省も断念したのである。これが、現在の尖閣諸島問題の日本側の最古の立場であった。言い換えると、ここに尖閣諸島固有論の本質=真実がある。

「清国との関係なきにしもあらず」1885年11月24日付けの沖縄県令から内務卿への同島調査結果報告には、こう結論づけられている。(110ページ)
また、尖閣諸島への標杭立ては1969年5月5日までなされなかったのも史実である。また、帝国政府は尖閣諸島編入に際し、一切公示の手続きもしなかった。

井上先生は、全く正しかったことが今日の偽愛国主義を煽る対米隷属軍国主義の独裁者安倍一派と、米帝国主義の尖閣問題での日中和平を妨げる数々の謀略によっても証明されている。

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