安倍は日本自主独立の集団的自衛権行使を主張するならば、なぜ日米地位協定が具現化する極東条項を撤廃させないのか?,対米従属( Slavish
Obedience to the U.S. )批判論者の中西良太さんのレビューより
レビュー対象商品: 集団的自衛権と安全保障 (岩波新書) (新書)
本書は、著者たちにより、集団的自衛権の行使の論議が、安倍政権とその軍事オタク達によって国際情勢の分析と立法事実の提示なき杜撰で、アベコベなものであることが徹底的に立証されています。例えば、本書の論考の特色且つ核心部分となる箇所を紹介すると、重光葵が、ダレスに1955年に日本主体の集団的自衛権行使と米軍撤退を交渉し、ダレスが米軍の日米行政協定の具現化する極東条項(米軍の日本全土基地化と自由使用)を維持する為に、重光の主張を違憲であり、改憲が必須という論理で否定していた史実を始めて知りました。
今日との差異は、安倍政権は全く日米地位協定の具現化する極東条項=占領条項破棄を主張すらせずに、米側が許容し、尚かつ要請しているのは、あくまで米軍指揮下での集団的自衛権の行使である。湾岸戦争とイラク戦争の戦略的総括が欠如しているため、安倍側も国民側も分かっていないのは、集団的自衛権行使の擬制が先の戦争で対米協力国を共犯者にした上に、国連憲章51条に違反しており、米国は実は個別的自衛権を発動していないということである。
先の無謀なアフガン戦争、イラク戦争を個別的自衛権を発動していないで、実は予防戦争論という国連憲章違反で、原理的に個別的自衛権発動なしには、他国の集団的自衛権が成立しないのに、イギリスに集団的自衛権を発動させ、実態としては、国連違反と泥沼戦争へと引き込んだのである。まさに、ここに、集団的自衛権の安倍政権の主張と国民側双方の盲点がある。つまり、そのような国連憲章違反で個別的自衛権すら実際発動していない侵略戦争に、集団的自衛権を行使させ、戦争に加担させるやり口である。それは、正当な個別的、あるいは集団的自衛権の論理自体が破綻し、そもそも成立していない武力行使だったのである。この論点に本書で始めて出会った。感激至極というしかないほど聡明精緻な豊下 楢彦氏の論考である。
次の豊下 楢彦氏のお言葉は、本書の論考の素晴らしさ、輝きを示している。氏は、集団的自衛権と日米安保が不可分の片務性を有している点を総合的に分析されている。
「ところが安倍首相や『報告書』は、この核心的な問題に全く立ち入ろうとしない。集団的自衛権の行使を主張するのであれば、それと同時に、安保条約第六条、あるいは少なくとも日米地位協定の抜本的な改定が提起されねばならないはずなのである。そうでなければ、日本は集団的自衛権を行使するが『占領条項』はそのまま堅持されるという。新たな『片務性』が生み出されることになるのである。」(43ページ)
本書では、他にも米側が今では尖閣問題の棚上げ論を支持していることが論証され、1973年6月12日の在日米大使館が当時の外務省アジア局中国課長国広道彦を訪ね、日本の当時の外務省の尖閣問題での対処法が、日米ともに棚上げ論であり、米側の中立論も棚上げ論の一部として日米で相互理解が成立していた史実が立証されている。それは、以下の新資料による。
国広は米国に尖閣諸島問題の解決法としてこう伝えた。「尖閣の主権問題について、すべての関係国が公に立場を表明する事をさけ続ける事が最も賢明な道筋である。(中国が主権問題の交渉をしてくるならば)日本政府は議論する用意がある。」(95ページ)
日米ともに棚上げ論は正しい戦略であり、米国の尖閣の中立化は米国版の棚上げ論であるが、尖閣諸島の大正島と久場島が今の米軍管理下にあり、日本への返還が急務である。
追記となるが、古関氏の論考で、自民党憲法改正案が批判的に分析されており、中でも秀逸なのが、自民案24条の家族が国家に扶助を命令される条項は、社会福祉の削減の正当化の論理であり、ネオリベラリズムそのものの実現となる。また、国民の有事の際の戦争協力義務に関しては、国民は戦闘員=軍民ではないので有事=戦時には捕虜になっても、攻撃されても何も保護されないのであり、自衛隊員よりも国際法的立場は悪い。有事の際には、国民は軍に協力すれば、戦闘員ではないので敵にも保護されないのが法理であることは、国民は知らない。(137ページ)さらに、安全保障は、経済安保、食料安保、人的安保、社会保障など、軍事安保だけではないというご指摘も最大多数の国民が無知な点であり、全く無視できない。私は、一人の日本国民として、お二人の労作に感謝致します。
本書は、平和を希求する全日本国民必読の書です。
今日との差異は、安倍政権は全く日米地位協定の具現化する極東条項=占領条項破棄を主張すらせずに、米側が許容し、尚かつ要請しているのは、あくまで米軍指揮下での集団的自衛権の行使である。湾岸戦争とイラク戦争の戦略的総括が欠如しているため、安倍側も国民側も分かっていないのは、集団的自衛権行使の擬制が先の戦争で対米協力国を共犯者にした上に、国連憲章51条に違反しており、米国は実は個別的自衛権を発動していないということである。
先の無謀なアフガン戦争、イラク戦争を個別的自衛権を発動していないで、実は予防戦争論という国連憲章違反で、原理的に個別的自衛権発動なしには、他国の集団的自衛権が成立しないのに、イギリスに集団的自衛権を発動させ、実態としては、国連違反と泥沼戦争へと引き込んだのである。まさに、ここに、集団的自衛権の安倍政権の主張と国民側双方の盲点がある。つまり、そのような国連憲章違反で個別的自衛権すら実際発動していない侵略戦争に、集団的自衛権を行使させ、戦争に加担させるやり口である。それは、正当な個別的、あるいは集団的自衛権の論理自体が破綻し、そもそも成立していない武力行使だったのである。この論点に本書で始めて出会った。感激至極というしかないほど聡明精緻な豊下 楢彦氏の論考である。
次の豊下 楢彦氏のお言葉は、本書の論考の素晴らしさ、輝きを示している。氏は、集団的自衛権と日米安保が不可分の片務性を有している点を総合的に分析されている。
「ところが安倍首相や『報告書』は、この核心的な問題に全く立ち入ろうとしない。集団的自衛権の行使を主張するのであれば、それと同時に、安保条約第六条、あるいは少なくとも日米地位協定の抜本的な改定が提起されねばならないはずなのである。そうでなければ、日本は集団的自衛権を行使するが『占領条項』はそのまま堅持されるという。新たな『片務性』が生み出されることになるのである。」(43ページ)
本書では、他にも米側が今では尖閣問題の棚上げ論を支持していることが論証され、1973年6月12日の在日米大使館が当時の外務省アジア局中国課長国広道彦を訪ね、日本の当時の外務省の尖閣問題での対処法が、日米ともに棚上げ論であり、米側の中立論も棚上げ論の一部として日米で相互理解が成立していた史実が立証されている。それは、以下の新資料による。
国広は米国に尖閣諸島問題の解決法としてこう伝えた。「尖閣の主権問題について、すべての関係国が公に立場を表明する事をさけ続ける事が最も賢明な道筋である。(中国が主権問題の交渉をしてくるならば)日本政府は議論する用意がある。」(95ページ)
日米ともに棚上げ論は正しい戦略であり、米国の尖閣の中立化は米国版の棚上げ論であるが、尖閣諸島の大正島と久場島が今の米軍管理下にあり、日本への返還が急務である。
追記となるが、古関氏の論考で、自民党憲法改正案が批判的に分析されており、中でも秀逸なのが、自民案24条の家族が国家に扶助を命令される条項は、社会福祉の削減の正当化の論理であり、ネオリベラリズムそのものの実現となる。また、国民の有事の際の戦争協力義務に関しては、国民は戦闘員=軍民ではないので有事=戦時には捕虜になっても、攻撃されても何も保護されないのであり、自衛隊員よりも国際法的立場は悪い。有事の際には、国民は軍に協力すれば、戦闘員ではないので敵にも保護されないのが法理であることは、国民は知らない。(137ページ)さらに、安全保障は、経済安保、食料安保、人的安保、社会保障など、軍事安保だけではないというご指摘も最大多数の国民が無知な点であり、全く無視できない。私は、一人の日本国民として、お二人の労作に感謝致します。
本書は、平和を希求する全日本国民必読の書です。
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