===対米従属の事例総論===
ラテンアメリカにおいて主流な軍人型による従米政権か主として戦後日本における文民型による従米政権かは、当該国の政治体制に依って異なり、[[軍事政権]]、[[軍国主義]]、[[ボナパルティズム]]、[[ファシズム]]、[[寡頭制]]、[[君主制]]、[[社会主義]]や[[議会制民主主義]]政体のものなど上述以外にもその他多数存在している。また以上の事例からも[[グアテマラ]]にみる[[ホルヘ・ウビコ]]政権のような従米ファシズムという極端に歪な隷属形態もあるだけでなく、[[ポーランド]]の[[独立自主管理労働組合「連帯」]]の樹立した政権である[[レフ・ヴァウェンサ]]政権のような[[東欧革命]]の形態によるケースも確認されている。いわゆる従米政権、傀儡政権が単なる従米軍事独裁政権とは限らないのである。さらにまたその経済政策は、[[新自由主義]]政策を採用する場合、いわゆる開発主義政権([[:en:developmentalism]])ではない。2007年にネオコン批判の政治経済学的研究書『[[ショック・ドクトリン]]』を上梓し、シカゴ学派の新自由主義政策を惨事便乗型資本主義として批判分析した[[ナオミ・クライン]]は、ラテンアメリカ諸国でシカゴ学派を政策顧問にした対米従属政権によって実施された惨事便乗型資本主義の顛末をこう総括している<ref>Naomi
Klein title = The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, PICADOR,
2007, P.8.</ref>。
{{quotation|多くのラテンアメリカ諸国は、何百万人をも貧困化させた経済的ショックと、それとは異なった種類の社会を奉じた何百何千という人々への懲罰的拷問の疫病的蔓延との間の直接的な関連を目にしたのである<ref>Naomi
Klein title = The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, PICADOR,
2007, P.8.</ref>。|[[ナオミ・クライン]]『[[ショック・ドクトリン]]』}}
[[File:Pinochet Aylwin Bush.png|thumb|[[アウグスト・ピノチェト]]とジョージ・H・W・ブッシュ]]ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカでは、米帝国主義はその典型として、南米のCIAの[[コンドル作戦]]([[:en:Operation
Condor|Operation Condor]])(1975)のようにワシントンの供与した当時最先端技術のコンピュータシステムで反体制や労働組合を国際的に弾圧し、国境なき拉致や拷問を繰り広げたファシスト官憲、[[アウグスト・ピノチェト]]のような西側の対米従属政権のパラダイムとなった大量虐殺のボナパルティスト要人を、米国内のSOA(1946年に米国によりパナマで開校されたアメリカ陸軍米州学校、U.S.ARMY
School Of Americas、開校以来中南米の55,000人以上の将校が反乱鎮圧戦を主に訓練を受け、毎年約2,000人が通う。1984年に米国内のジョージア州フォートベニング陸軍基地に移転し、2001年の改名後は現在の[[西半球安全保障協力研究所]]がこれに該当する)で養成し、従米軍国主義の独裁体制を傀儡政権として樹立し、[[シカゴ学派_(経済学)]]([[:en:Chicago_Boys]])のシカゴ大学経済学教授[[ミルトン・フリードマン]]が指導した[[新自由主義]]([[:en:neoliberalism]])政策を実施させた。
[[File:WHISC logo.jpg|thumb|戦後中南米の軍事独裁者達を育成したアメリカ陸軍米州学校。現在の[[西半球安全保障協力研究所]]]]
[[ミルトン・フリードマン]]は、それが史上初めて自身が政策顧問を担当した[[アウグスト・ピノチェト]]によりチリで実践されたことを自画自賛しつつ[[チリの奇跡]]として喧伝した。またこの新自由主義に共通して労働者階級へ喧伝される[[トリクルダウン理論]]とは、マクロ経済において富者、大企業が富めば貧者にそのおこぼれがいつかは巡ってくるだろうという科学的な検証を未だに欠いた理論である。なおこのチリでのシカゴ学派の新自由主義的実験の実相をノーベル賞作家の[[ガルシア・マルケス]]は、映画監督ミゲル・リティンの1985年のチリへの秘密潜伏によるドキュメンタリー映画制作過程のルポルタージュの中で、その帰結としての地主階級の貧困化、中産階級の没落と労資間格差の深化の有様をこう記述している<ref>[[ガルシア・マルケス]]
title =後藤政子訳『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』, 岩波新書,
日本,
1986, P.56.</ref>。
{{quotation|街頭の売り子というのはチリでいつでもみられたのだが、これほど数が多かったことはなかったと思う。彼らは黙黙と、長い列を作ってる。今日ではこんな光景が見られない繁華街というものは、凡そ考えられないだろう。そこではあらゆるものが売られている。その人数も多く、様々な人がいるので、それだけで社会を映し出す鏡となっている。失業した医者や落ちぶれた技術者、あるいは、いくらでもよいからと良き時代の衣類を売りにきた侯爵夫人の傍らには、盗品を差し出している孤児や手作りのパンを売ろうとしている下層階級の女性の姿が見られる。だが専門職の人々のほとんどは、不幸に落ちたとはいえ、品位だけは捨てていないようだ。|[[ガルシア・マルケス]]『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』<ref>[[ガルシア・マルケス]]
title =後藤政子訳『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』, 岩波新書,
日本,
1986, P.56.</ref>}}
[[File:Milton.Friedman.jpg|thumb|対米従属政権の経済政策新自由主義のグル、ミルトン・フリードマン]][[新自由主義]]([[:en:neoliberalism]])政策とは、つまり危機や脅威論を創出し、それを利用して民営化や規制撤廃など常時では国民に受け入れられがたい民衆本位でない強行策実施を一部の投機分子の為に画策するいわゆる惨事便乗型資本主義([[:en:Disaster
Capitalism]])や[[新保守主義]]、[[ネオコン]]([[:en:Neoconservatism]])としても知られる政策である。さらに詳述すると、しばしば[[国際通貨基金|IMF]]や[[世界銀行]]を通して実施されたりするが、反開発主義、反[[ケインズ]]主義という立場のもと、危機や脅威論を計画的に創出し、即時反対抗議や反乱が不可能な危機的状況下で支配権を握り、それに便乗し積極的且つ迅速な民営化(特定の官僚や資本家による公共資源・公共事業の私有化、私有事業化、果ては戦争や災害危機をも私営事業化し、公共資源を1%の富裕層の占有とする)と規制撤廃(経済自由化や貿易自由化やグローバリゼーションのレトリックや名目でなされる相手国国内の地場基幹産業の保護撤廃や労働保護撤廃、貿易障壁の撤廃、公共サービスの削減、社会保障ネットの撤去など)による市場経済原理主義、純粋資本主義(pure
capitalism)の復古、福祉国家解体を目指すというショック療法的政策([[ショック・ドクトリン]]、[[ビッグバン
(金融市場)]])を、その帰結として不可避に生じる格差の深刻化からくる抗議反乱を最も便宜に鎮圧可能な強権体制で貫徹させ支配してきたのである<ref
name="news.bbc.co.uk">[http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/63821.stm
BBC NEWS | Americas | Pinochet's rule: Repression and economic
success]</ref><ref>Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise
of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, PP.4-5.</ref>しかし、米国国内では、当時ニクソン政権はあくまで[[ニューディール]]以来の[[ケインズ]]主義政策を採用し、[[新自由主義]]の成果は危機に便乗した超富裕層の自社内部留保などの蓄財に資っしたのみで、通常の民主体制下では想像出来ない様々な弊害を当該国(軍政下の[[南米]]、[[インドネシア]]、[[トルコ]]、[[韓国]]、[[ガーナ]]、他に[[一党支配]]下の[[メキシコ]]、[[シンガポール]]、[[香港]]、[[台湾]]、[[中国]]、[[ロシア]]、そして[[多党制]]下の[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]の[[英国]]、[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権以降の[[米国]]<ref>Naomi
Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New
York, 2007, P.167.</ref>)へともたらした。例えば[[新自由主義]]政策実験国第一号となったチリでは、1974年から世界最大の375%というインフレ(前政権時の2倍)を記録し、1973年から1983年間に177,000もの職が喪失したり、自由貿易が雇用率を上げると当初喧伝されたが、失業率も前政権の2%から20%へ、そして二年後には25から30%へと急上したりと2007年には、ついに国連調査で世界で八番目の格差社会となった<ref>Naomi
Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New
York, 2007, PP.100-105.</ref>。また国家機構としては[[ベニート・ムッソリーニ]]の警察国家のように、政府、資本家及び労働官僚らが国家主義の名の下に謀議する[[コーポラティズム]]国家形成(国家の株式会社化とも揶揄される)が、対米従属政権の特徴でもある<ref>Naomi
Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New
York, 2007, P.105.</ref>。その支配と圧政を敗ったのはあくまで米国によるのではなく、例えば1898年の[[米比戦争]]から1989年の[[マルコス]]独裁政権崩壊までのフィリピンで、[[エミリオ・アギナルド]]を先駆者とするフィリピン独立闘争、1927年~1933年にニカラグアでアメリカ海兵隊を破り、同国の対米従属政権への反対運動を指導した[[アウグスト・セサル・サンディーノ]]に始まる[[サンディニスタ民族解放戦線]]や、1979年のイスラム右派と左派の共闘した[[イラン革命]]、1970年から1975年のカンボジアにおけるシアヌーク派とポル・ポト派と北ベトナム軍の統一戦線による反帝国主義、反[[ロン・ノル]]戦争、2010年~2012年にアラブ諸国で[[ソーシャルネットワーク]]を活用し匿名性の個人大衆が自覚的に参加した21世紀型の革命[[アラブの春]]の如く、右翼も左翼も共闘した当該諸国の被圧迫諸民族の対米自主独立の[[民族主義]]闘争だった<ref>ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン〈上〉〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く
』、[[岩波書店]]、2011年。</ref><ref>チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本
武力依存の構図』所収『三つの冷戦』、[[集英社]]。</ref>。
[[File:Augusto César Sandino cph.3b19320.jpg|thumb|ニカラグアの対米独立運動の領袖[[アウグスト・セサル・サンディーノ]]]]
[[File:Arab Spring Protal.gif|thumb|ソーシャルネットワークを活用した21世紀型の[[革命]]で対米従属政権を打倒したアラブの春]]
ナオミ・クラインは、さらにシカゴ学派の新自由主義が国際間のイデオロギー闘争において幾つものレトリック、タームの下に流布している現象(リベラルと保守の定義の相対性と混淆)を指摘し、それに分析を加えている。
{{quotation|フリードマンは彼自身を[[リベラル]]と呼んだ。しかし、リベラル達に高額税とヒッピー達を伴って協力した彼の追随者たちは[[保守]]、[[古典派経済学]]者たち、自由[[市場]]主義者たちと認められ、後には、[[レーガノミクス]]や[[レッセフェール]]の信奉者たちと認められた。最大多数の世界の国々において、彼らの古典的教義は[[新自由主義]]として知られるが、それはしばしば[[自由貿易]]や単純に[[グローバリゼーション]]と呼ばれる。|[[ナオミ・クライン]]『[[ショック・ドクトリン]]』<ref>Naomi
Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New
York, 2007, P.17.</ref>}}
1970年代後半から1980年代初めの内戦期のアルゼンチンで、キッシンジャーの黙認と対外的な否認のもとで、当該従米軍事独裁政権により約3万人が拷問され殺害された通称[[汚い戦争]]([[:en:Dirty_War]])や1981年にレーガン政権とCIAにより組織された従米反政府武装テロ組織にして、ラテンアメリカのCIA麻薬取引ネットワーク(歴史的にはベトナム戦争時に遡り、コスタリカのハル農場を仲介して麻薬取引が行われた)を介して、米政府に援助された[[ニカラグア]]の反革命軍を標榜する国際テロ組織[[コントラ]]による[[コントラ戦争]]や[[グアテマラ]]の1954年の[[PBSUCCESS作戦]]に顕著な米帝国主義政策、[[チャルマーズ・ジョンソン]]は、これを隠密帝国主義([[:en:Stealth
Imperialism]])<ref>Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The
Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, P.65.</ref>と言うが、それは、ペンタゴン、軍産複合体による140カ国以上、その90%は非民主的政権への武器売却(Arms
Sales)やCIAの麻薬取引を積極的構成要素とするだけでなく、属国にあくまで労資調停者であるかのように振る舞うボナパルティスト(ポピュリスト)政権を望む傾向にある。さらに、CIAは何千人もの[[ユダヤ人]]や[[レジスタンス]]を虐殺した[[ナチス]]の[[ラインハルト・ゲーレン]](CIAに雇われ西ドイツの[[連邦情報局]](BND)の初代長官に就任)や、クラウス・バービーのような元[[ナチス]]幹部を他の連合国へ引き渡さず、ボリビアへ密入国逃亡をさせ、[[秘密戦争]]のために自らのスパイとして雇ったり、チリやアルゼンチンに亡命していたナチスの元高官たちを雇って、南米の諜報機関を養成したが、元[[ナチス]]だけでなく、ラスベガス・マフィアのジョン・ロゼッリ、シカゴのボス、サム・ジャンカナ、タンパのボス、サント・トラフィカンテ、スハルト政権樹立を援助したバークリー・マフィアといったいわゆる[[マフィア]]も雇って作戦に利用した。さらに、1948年米軍統制下の南韓国の軍部が、済州市内で、南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行っていた島民約6万人を、冷戦のレトリックである反共名目で大量虐殺し、その他の島民約4万人が日本へ強制移住となった[[済州島四・三事件]]([[:en:Jeju
Uprising]])のような東アジアにおける大規模な弾圧、1979年から1980年にかけて、[[全斗煥]]が米軍司令官ウィッカム(General
Wickham)及びワシントンの許可を受け第20部隊を用いて行った[[5.18光州民主化運動]]の大虐殺([[:en:Gwangju_massacre]])<ref>Chalmers
Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of
American Empire, Owl Books, 2000, P.110.</ref>、1980年代ラテンアメリカの民族独立の民主主義運動を反共名目で約20万人以上を虐殺し粉砕した、その歴史的起源を1927年のルーマニアの極右反ユダヤ主義集団である[[鉄衛団]]([[:en:Iron_Guard]])とする[[死の部隊]]([[:en:Death_squad]])、革命前のイランでの米国と同盟した[[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]によるCIAが作り出した暗殺集団SAVAK(国王秘密警察,
[[:en:SAVAK]])を利用した反体制派数千人の大虐殺、米国によるチリの[[アウグスト・ピノチェト]]政権の樹立と彼の少なくとも4千人と言われる拷問や虐殺の罪責の免除、同政権による少なくとも80,000人の反対派市民の逮捕投獄や200,000の難民流出<ref>Naomi
Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New
York, 2007, P.97.</ref>、[[File:Pinochet CIA Profile
1976.jpg|thumb|[[アウグスト・ピノチェト]]のCIAプロフィール文書、1976年作成]]トルコにおける[[クルド人]]虐殺、1981年[[エルサルバドル]]におけるSOA出身将校等によるエルモソテ村大虐殺などの[[国家テロ]]([[:en:State
Terrorism]])のように、米国に支持された対米従属政権の自国民への人権蹂躙及び弾圧は世界史的に広範に見られる傾向である<ref>Chalmers
Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of
American Empire, Owl Books, 2000, P.65.</ref>。CIAが支援した対米従属政権によるこの手の自国民の虐殺の中でも最大規模とされるのが、[[インドネシア]]の[[スハルト]]政権による1965年から1967年にかけて自国の約100万人をCIAが作成した反体制派名簿に従って軍が殺戮していった事例である。さらに、[[スハルト]]政権は、当時の[[ジェラルド・フォード]]米国大統領と[[ヘンリー・キッシンジャー]]の許可を得て、1975年に[[東チモール]]に侵攻し、それ以降10年間[[東チモール]]を対外的に封鎖し、人口の3分の1である約20万人をも虐殺した。1991年には、同政権は[[サンタクルス事件]]という現地住民の大量虐殺事件も引き起こした<ref>フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、PP.48-9。</ref>。そして日本や英国、オーストラリアなどはこれを黙認してきた。
{{quotation|冷戦期始まりの世界中で、公式非公式の米国の代表者たちが活動してきた。しばしば、隠密なやり方で、民衆を圧迫する政権を樹立したり、彼らの軍隊や警察を作り出した。それらは、往々にして彼ら自身の民族の大部分に敵対した<ref>Chalmers
Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of
American Empire, Owl Books, 2000, P.65.</ref>。|[[チャルマーズ・ジョンソン]]}}
又直接的に軍事介入や経済制裁が米国によってなされる事例でも、実態とは正反対のイデオロギー的な粉飾がされる傾向がある。例えば、米国による1991年からの[[経済制裁]]がイラクの社会資本を破壊したことにより約150万人のイラクの子供たちが死亡したとされるケースでは、1989年の経済制裁前の幼児死亡率を超えてそれは急上昇していったが、[[サッダーム・フセイン]]がその危機の元凶と喧伝された上に、バグダッドにある子供用の中東唯一の粉ミルク工場を化学兵器工場であるとして破壊し、他のイラク食料保存加工施設をも徹底的に破壊した事は有名である。このような経済制裁は、一種の大量破壊手段として指摘され、戦争のために市民を飢餓へ追いやることは国際法違反であり、[[ジュネーブ条約]]、[[国連憲章]]、[[WHO]]憲章、[[世界人権宣言]]、諸国家の経済的権利や義務憲章すべてに違反している<ref>フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、PP.41-3,
46。</ref>。さらに、4千人以上が亡くなった[[パナマ侵攻]]のケースでは、米軍は[[トンキン湾事件]]の如く侵攻前に何度も挑発し事件を引き起こし、国際紛争をでっちあげ米軍がパナマ人を挑発して起こった事件を理由にして、アメリカ人の生命を守ると言う名目で[[パナマ侵攻]]を行った事も指摘されている<ref>フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、P.54。</ref>。
[[File:Jeju Massacre.jpg|220px|thumb|米軍統制下の南朝鮮従米政府による処刑を待つ自主独立運動参加者たち]]
なお朝鮮半島<ref>{{cite news
| url = http://www.japanfocus.org/-Do-Khiem/2848
| title = Crimes, Concealment and South Korea’s Truth and
Reconciliation Commission
| newspaper = The Asia-Pacific Journal
| author =Do Khiem and Kim Sung-soo
| accessdate = 2011-06
| language = 英語}}</ref>に関しては、ペンタゴンは1997年同省長官ウィリアム・コーヘンを通じ朝鮮統一後も米軍基地の継続駐留の意向を、理由には一切言及せず明言している。さらに1994年の南北朝鮮の枠組み合意以降、両国の外交的努力による緊張緩和を妨げる一連の不可解な事件が今日まで頻発していることがチャルマーズ・ジョンソンによっても指摘されている<ref>Chalmers
Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of
American Empire, Owl Books, 2000, P.133.</ref>。米軍は、属国自体を防衛しているのではなく、東アジアの衛星国家群が成す従米属国ブロックという永遠の軍事的利権を防衛しているのが実態である。(国民には、自国に於ける米国支配搾取の永続化が自国の安全保障というように倒錯して映っている実態として指摘されている)<ref>Chalmers
Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of
American Empire, Owl Books, 2000, P.128.</ref><ref>ナオミ・クライン『[[ショック・ドクトリン]]〈上〉〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く
』、[[岩波書店]]、2011年。</ref>
ヨーロッパにおける対米従属の事例としては、CIAはNATOの従属国を利用して、従米政権樹立のために極左のテロを偽装した従米極右集団による国際テロ作戦である[[グラディオ作戦]]([[:en:Operation
Gladio]])を1969年から1982年までの長期間実施していたことも発覚している<ref>「金曜アンテナ
イタリア元大統領が指摘する『9・11の真相』」[[週刊金曜日]]
683号、2007年12月14日。</ref>。
21世紀に入ってからも、CIAは[[ベネズエラ]]で2002年4月反チャベス政権の従米軍部によるクーデターで数日間ながら傀儡政権を樹立したり、未だにその対米従属化政策の非民主的な政治介入の手口を放棄していない<ref
name="senya">{{cite
web|url=http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1232.html |title=反米大陸
|publisher=松岡正剛の千夜一夜・遊蕩篇 |author=[[松岡正剛]] |date=
|accessdate=2013-09-11 }}</ref>。
[[File:President George H. W. Bush being briefed by the
Defense Intelligence Agency (DIA) 1989.jpg|thumb|[[パナマ侵攻]]作戦時にアメリカ国防情報局[[DIA]]の説明報告を受ける[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]大統領、1989年]]
以上のように対米自主独立勢力を監視し、破砕する諜報工作機関は、[[CIA]]のみだけではなく、2013年11月2日の[[ニューヨーク・タイムズ]]で同盟国たる日本をも経済、外交、技術革新の三分野で盗聴していることがスノーデンの公開文書で発覚した[[アメリカ国家安全保障局]]<ref>{{Cite
web|last=[[ニューヨーク・タイムズ]]|title=Documents Show N.S.A. Efforts to Spy
on Both Enemies and
Allies|url=http://www.nytimes.com/interactive/2013/11/03/world/documents-show-nsa-efforts-to-spy-on-both-enemies-and-allies.html?ref=world|accessdate=2013-11-05}}</ref>、アメリカ国防情報局[[DIA]]や[[思いやり予算]]で日本人従業員をネット検索上の情報収集とレポート作成に毎日あたらせ日本、中国やインドの言論、軍事動向などを監視通報する在日米軍座間基地所在の[[アメリカ陸軍情報保全コマンド]](在日米軍諜報工作機関米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian
Studies Detachment)などの他、米国諜報機関に協力する陸上自衛隊の諜報組織別班(座間基地所在の米軍第500軍事情報旅団により1950年代に軍事情報特別訓練MISTを通じて創設された秘密諜報組織で、1973年の[[金大中]]元韓国大統領の東京ホテル拉致事件に米軍司令下で関与)、英国の[[MI5]]等各国の対米協力諜報機関が加わる<ref>{{Cite
web|last=るいネット|title=マスコミ=米軍の、「日本人監視・組織」>日本人監視の在日米軍諜報機関|url=http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=243878&t=100&o=10391&k=1&pgh=4|accessdate=2013-09-26}}</ref><ref>{{Cite
web|last=アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争|title=米国による日本メディア監視システムの実態|url=http://blog.goo.ne.jp/nvno/e/639a9b5d5461a8a6482cfadc24b594db|accessdate=2013-10-17}}</ref>。
[[File:William cohen with suharto.jpg|thumb|米国国防長官ウィリアム・コーヘン(左)
とスハルト大統領]][[File:Guatemalan
Death Squad Dossier.jpg|thumb|グアテマラの従米国際テロ組織[[死の部隊]]による被逮捕者及び失踪者リスト]]
{{quotation|(S//SI) J.任務:新出の戦略的技術:技術的脅威の防止。対象地域:軍事的、経済的、或は政治的優越性をもたらす決定的な技術。高エネルギーレーザー、低エネルギーレーザー、コンピュータ及び情報技術発展の優越、エネルギー兵器へのシフト、隠密或は反隠密の電子軍事兵器、空間と宇宙の監視、電子計量器、ナノテクノロジー、エネルギー物資。この新出の技術的な脅威は主としてロシア、中国、インド、''日本''、ドイツ、フランス、韓国、イスラエル、シンガポール、そしてスイスからくるものとされる。
|[[アメリカ国家安全保障局]]『文書のみせる米国の敵国及び同盟国をスパイするN.S.A.の努力』より<ref>{{Cite
web|last=[[ニューヨーク・タイムズ]]|title=Documents Show N.S.A. Efforts to Spy
on Both Enemies and Allies|url=http://www.nytimes.com/interactive/2013/11/03/world/documents-show-nsa-efforts-to-spy-on-both-enemies-and-allies.html?ref=world|accessdate=2013-11-05}}</ref>}}
[[チャルマーズ・ジョンソン]]は、2004年発表の論文『三つの冷戦』(原題:The
Three Cold Wars)で上述の冷戦期から冷戦期以降他国に軍事独裁の反民主主義を輸出するアメリカ軍国主義に関してこう総括している<ref>チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本
武力依存の構図』所収『三つの冷戦』、[[集英社]]、PP.73-74。</ref>。
{{quotation|……アメリカは中国と、野蛮な戦争を戦った。朝鮮半島では文字通り中国と戦い、ベトナム戦争も比喩的には中国との戦いで、毛沢東の人民戦争理論の威信を傷つけようと狙ったのだった。ベトナム戦争はアメリカの有権者の間に深刻な分裂を招き、又、アメリカが帝国主義的な弱いものいじめだという悪評を高めるのに一役買った。しかしながら、そうした事以上に、これらの戦争以来、ヨーロッパ以外の外国への対応に、大きな特徴がでてくるようになった。すなわち、相手国の政治経済情報を知る地道な調査を積み重ねる事なく、抽象的なうたい文句やスローガン(たとえば、「共産主義者の世界的共謀」、「対ゲリラ戦」、「自由な世界」、「囚人国家」などなど)に寄りかかるようになったこと、また軍事力を過剰に行使し、不適切な暴力に訴えるようになったこと、さらには意に添わない政権を追い落としたり、民衆の支持はないが親米的な政権を支援したりする(イラン、グアテマラ、日本、ピッグス湾[キューバ]、コンゴ、韓国、南ベトナム、ドミニカ共和国、フィリピン、インドネシア、チリ、アンゴラ、ニカラグア、ソマリア、ハイチなど、よく知られているだけでもこれだけある)ために秘密工作を展開するようになったことだ。ソ連が消滅する頃までには、アメリカ外交はこうした手法に依存するあまり、外交術のような駆け引きや対外援助、他国の規範になるようなアメリカの姿を内外に示すといった伝統的な方策はすっかり影をひそめてしまった<ref>チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本
武力依存の構図』所収『三つの冷戦』、[[集英社]]、PP.73-74。</ref>。|[[チャルマーズ・ジョンソン]]『三つの冷戦』}}
No comments:
Post a Comment