Monday, July 13, 2015

Slavish Obedience to the U.S.


===日本の対米従属の事例===

日本の文民型の従米政権(一部抵抗派の従米政権も含む)の事例については、政治評論家の[[孫崎享]]は、19451946年期間の[[幣原喜重郎]]政権、19461954年期間の[[吉田茂]]政権、19601964年期間の[[池田勇人]]政権、19741976年期間の[[三木武夫]]政権、19801982年期間の[[鈴木善幸]]政権、19821987年期間の[[中曽根康弘]]政権、19871989年期間の[[竹下登]]政権、19891991年期間の[[海部俊樹]]政権、19961998年期間の[[橋本龍太郎]]政権、19982000年期間の[[小渕恵三]]政権、20002001年期間の[[森喜朗]]政権、20012006年期間の[[小泉純一郎]]政権、20062007年期間の[[安倍晋三]]政権、20072008年期間の[[福田康夫]]政権、20082009年期間の[[麻生太郎]]政権
<ref>{{Cite web|last=しんぶん赤旗|title=懲りない麻生副総理“ナチスに学べ”だけじゃない>ナチに学べ|url=http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-04/2013080415_03_0.html|accessdate=2013-09-26}}</ref>20102011年期間の[[菅直人]]政権、20112012年期間の[[野田佳彦]]政権、2012年からの[[安倍晋三]]政権<ref>孫崎享、『日本を疑うニュースの論点』[[角川学芸出版]]P.1782013年。</ref><ref>{{Cite web|last=朝日新聞デジタル|title=中国、安倍首相「軍国主義者」発言に反発 人民日報論評>安倍晋三「軍国主義者」発言|url=http://www.asahi.com/international/update/0928/TKY201309270569.htmll|accessdate=2013-09-29}}</ref> などを挙げている<ref>孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』、[[創元社]]PP.367-368</ref>
元外務大臣[[重光葵]]は、日本最初の対米従属政権である[[幣原喜重郎]]政権とその組閣を担った[[吉田茂]]に関して重大な証言を残している<ref>重光葵『続 重光葵日記』、[[中央公論社]]</ref>{{quotation|幣原新内閣は昭和20109日成立した。その計画は吉田外務大臣が行った。吉田外務大臣は、いちいちマッカーサー総司令官の意向を確かめ、人選を行った。残念な事に、日本の政府はついに[[傀儡政権]]となってしまった。|[[重光葵]]『続 重光葵日記』<ref>孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』、[[創元社]]P.37</ref>}}
また、CIAの創設メンバーで、GHQ参謀第二部長として日本の文民型の対米従属政権樹立に直接関与したのが、[[チャールズ・ウィロビー]]である。彼は第三者の引用と言う形式で叙述した自著『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』で[[吉田茂]]従米政権成立過程を回顧してこう証言している<ref>チャールズ・ウィロビー『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』、番町書房、1973年。</ref>
{{quotation|ウィロビーは大変吉田びいきだったね。帝国ホテルのウィロビーの部屋へ、吉田さんは裏庭から忍ぶようにやって来たりしたよ。裏階段を登ってくる吉田さんとばったりということが何度もあったな。(中略)あのころは、みんな政治家は米大使館(マッカーサーの宿舎)には行かず、ウィロビーのところで総理大臣になったり、あそこで組閣したりだった。|[[チャールズ・ウィロビー]]『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』<ref>孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』、[[創元社]]P.38</ref>}}
チャールズ・ウィロビーは、その後1951年退役後に、スペインのファシスト対米従属政権の独裁者[[フランシス・フランコ]]の顧問に就任した。また、戦後日本の官僚は米国との関係上、貿易と安保の間の分離(政経分離)を維持し、[[ペンタゴン]]に歓迎され、以後半世紀以上にも及ぶアメリカの日本における覇権の象徴とみなされるようになった<ref>Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, P.185.</ref>

2014年刊行の『転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』において対米従属問題研究の国際的な権威である[[ガバン・マコーマック]]とジョン・W・ダワーは、戦後日本の対米従属の歴史を簡潔にこう概括している。

{{quotation|第二次世界大戦後の米国ーを主力とする連合国ーによる日本占領以来、日本の指導者達にとっては、ワシントンの指示に黙々と従うことが得策であった。日米の意見が食い違うことはあっても、重要な国際的な問題において深刻な意見の相違が生じる事はまれであった。冷戦の最中になされたワシントンのきわめて愚かな政策、たとえば1952年から1972までつづいた中国封じ込め政策においても、日本にはそれに従う以外の選択肢はなかった。沖縄をいわゆる本土から分離し、米軍政下に置く事も文句も言わずに受け入れた。米軍の歯止めのない核政策を支持し、重要な局面では中国や北朝鮮に対し、核で脅迫することをワシントンに示唆する事もした。日本は1960年代、70年代のインドシナ戦争や9.11以後のイラク戦争などにおいても、それがどれほど残虐なものであれ、米国の戦争を献身的に支持してきた。1972年の沖縄に対する日本の主権回復も、同年の米中和解も、それから約20年後冷戦の終結も、日本の対米従属を弱めることにはつながらなかった。|[[ガバン・マコーマック]]とジョン・W・ダワー『転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』<ref>ジョン・W・ダワー 『転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』 (NHK出版、PP.11-122014年。</ref>}}

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