==== 対リビア政策 ====
日本は1957年に[[リビア]]と国交を樹立して以後は政府も民間もリビアと友好関係を継続してきた。
1969年9月1日、ムアンマル・アル=カッザーフィー([[カダフィ]])と同志の青年将校たちによるクーデターにより、トルコに滞在中だった国王[[イドリース1世]]は退位し、カダフィを事実上の元首とする直接民主制の共和国が成立した。同国はカダフィが著した『[[緑の書]]』に基づく独自の[[社会主義]]国家を建設を目指し、対外的には[[ソビエト連邦]]に援助を受け、国民の5分の1を公務員としカッザーファ族同族による独裁的支配を実施したが、それ以前の王政による腐敗した権力を打倒し、石油産業を国有化し経済を発展させ、その利益を国民に還元し、教育や女性解放運動に注力し、リビアをアフリカでも豊かな国の一つにし、部族間対立を押さえ40年以上も統治してきた。しかしアメリカ合衆国の1986年の[[リビア爆撃]]以後、リビアはその報復として1988年にパンナム機を爆破([[パンアメリカン航空103便爆破事件]])した。そして米国はリビアに対して外交関係を停止し、経済制裁を実施してきたが、リビア政府が旅客機爆破事件の被疑者の身柄の引渡しと賠償金の支払いを表明し、大量破壊兵器の破棄を表明したので、2004年に経済制裁を解除し、2006年にテロ支援子国家の指定を解除し外交関係を復活した<ref>{{Cite
web|last=外務省|title=各国・地域情勢>リビア|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/libya/index.html
|accessdate=2008-08-26 }}</ref>。米国が反テロ戦争のレトリックの下で惨事便乗型資本主義を実施した[[アフガン戦争]]と[[イラク戦争]]についでNATO([[北大西洋条約機構]])を利用して軍事介入した[[2011年リビア内戦]]では、米国の支持する[[リビア国民評議会]]とアフリカ連合の脱ドル支配体制を目指したカダフィ政権側との戦争となった。同年8月23日には[[リビア国民評議会]]軍が首都トリポリを陥落し、同10月20日には[[カダフィ]]がスルト(シルト)で射殺され、42年間続いたカダフィ政権は崩壊した。[[2012年]][[7月7日]]には、同国の60年ぶりに行われた[[2012年リビア国民議会選挙|国民全体会議選挙]](定数200)で、120議席が無所属に、80議席が政党に配分された。[[国民勢力連合]]が39議席、[[ムスリム同胞団]]系の[[公正建設党]]が17議席、残りの議席は各中小政党が獲得する形となった。国民評議会は同年8月8日に権限を全体国民会議に移譲し解散した<ref>{{Cite
news
|url=http://www.cnn.co.jp/world/35020251.html
|title=リビア国民評議会、国民議会に権限を移譲
|work=cnn.co.jp
|publisher=[[CNN]]
|date=2012-08-09
|accessdate=2013-11-08
}}</ref>。今後は、選挙によって選ばれた議員で構成された議会に承認された内閣が行政権を継承し、そしてこの議会が制憲議会としてリビアの新憲法を制定し、1年以内の正式政府発足を目指して<ref>{{Cite
news
|url=http://www.asahi.com/international/update/0809/TKY201208090264.html
|title=リビア国民評議会が解散 国民議会に権限移譲
|work=asahi.com
|publisher=[[朝日新聞]]
|date=2012-08-09
|accessdate=2013-11-08
}}</ref>統治機構を調えることとなる。
しかし、米国の軍事介入へのブローバックは止まず、同年[[9月11日]]には[[2012年アメリカ在外公館襲撃事件|米領事館襲撃事件]]が発生し、J・クリストファー・スティーブンス大使はじめ関係者4人が死亡するなど、アフガンやイラクの先例と同様未だ国内は内戦以来の不安定な情勢が続いている。
同年[[9月12日]]、リビア全体国民会議は、[[ムスタファー・アブーシャーグール]]を首相に指名したが期限内に組閣を果たせず、首相不信任案を可決し解任。リビア国民評議会時代の暫定首相である[[アブドゥルラヒム・アル・キーブ]]が引き続き暫定政権を同年11月14日まで率いた<ref>{{Cite
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|url=http://www.cnn.co.jp/world/35022766.html
|title=リビア議会、新内閣の閣僚名簿を否決 首相解任
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|publisher=[[CNN]]
|date=2012-10-08
|accessdate=2013-11-08
}}</ref>。[[10月14日]]、国民議会は元外交官の[[アリー・ゼイダーン]]を首相に選出した<ref>{{Cite
news
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|title=リビア議会、元外交官のゼイダン氏を新首相に選出
|work=CNN.co.jp
|publisher=[[CNN]]
|date=2012-10-15
|accessdate=2013-11-08
}}</ref>。そして、同年11月14日からは、議会の承認により[[アリー・ゼイダーン]]が現在までのリビア首相を務め政権運営に当たっている。
=== 軍事 ===
==== [[核兵器]]廃絶
====
[[核兵器]]廃絶を推進する諸国(日本も含む)の政府は、過去1994年~2009年の16年連続、[[国際連合総会|国連総会]]で核兵器廃絶決議を提案し、賛成多数で毎年採択されている。2008年度は59か国が共同提案国になり、賛成は史上最多の173か国、反対は4か国(アメリカ合衆国、インド、朝鮮民主主義人民共和国、イスラエル)、棄権は6か国(中華人民共和国、イラン、ミャンマー、パキスタン、キューバ、ブータン)である<ref>{{Cite
web|last=UN>General Assembly>Documents>Documents
by Agenda Item 63rd(2008) Session>Resolutions Regular
Sessions|title=Resolutions 63rd(2008) Session>Resolution No.
A/RES/63/58 - Meeting Record A/63/PV.61 - Draft A/63/389 - Topic Towards a
nuclear-weapon-free world: accelerating the implementation of nuclear
disarmament commitments|url=http://www.un.org/News/Press/docs/2008/ga10792.doc.htm
|accessdate=2009-01-11 }}</ref><ref>{{Cite web|last=外務省|title=外交政策>軍縮・不拡散>我が国核軍縮決議の国連総会本会議における採択|url=http://www.mofa.go.jp/Mofaj/Gaiko/un_cd/gun_un/un_saitaku0812.html
|accessdate=2009-01-11 }}</ref>。
2013年10月21日に、日本は「米国の核の傘」にある国として初めて、国連総会第一委員会で125カ国連名の「核兵器の人道上の結末に関する共同声明」(ニュージーランド政府発表により「いかなる状況においても核兵器が再び使用されないこと」という表現を含む)に正式に合意し署名した。また、日本はオーストラリア政府発表の17カ国連名の「核兵器の人道上の結末に関する共同声明」(「核兵器を禁止するだけでは廃絶できない」、「人道の議論と安全保障の議論の両方が重要だ」という表現を含む)にも正式に合意し署名した<ref>{{Cite
news
|url=http://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/2013/10/24/humanitarian_statements_issued/
|title=日本、核兵器の非人道性に関する共同声明に署名(報道、談話など)
|work=Japan NGO Network for Nuclear Weapons Abolition
|publisher=核兵器廃絶日本NGO連絡会
|date=2013-10-24
|accessdate=2013-12-15
}}</ref>。
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