小沢さんを逆境において支え、日本の民主主義を守り抜いた本当に立派な佐藤さんと石川さんから学ぶべきもの,2014/6/13
Amazon.co.jpで購入(詳細) 対米従属批判論者 中西良太さんのレビューより
レビュー対象商品: 逆境を乗り越える技術 (ワニブックスPLUS新書) (新書)
本書で、佐藤さんは、石川さんが陸山会事件で検察に小沢潰しの階段として冤罪を仕掛けられたが、彼の助言を実行した石川さんが結果として小沢さんの無実を証明し、日本の民主主義を官僚の魔の手から救ったことを讃えている。我々も同感であり、佐藤さんご自身も民主主義派である鈴木宗男さんを潰すための検察の階段として冤罪に遭われている被害者である。我々は、日本の民主主義を守り抜いたお二人にこの場を借りて最高の敬意を表する。
本書では、様々な社会的立場における人たちへの逆境の切り抜け方が佐藤さんと石川さんにより提供される。例えば、うつ病とは、実際は抗うつ剤の売買のためにあれこれの名称で病気化される人間の精神の鬱屈状態であり、元々気分は浮き沈みがある。この前提の上で、佐藤さんはうつに関する会社のマニュアルに従わず、自分で信頼できる医者を探しまわり、すぐに薬投与をしたがらない、話を良く聞ける医者を見つけることを薦める。日本は、米国の抗うつ剤業界最大のマーケットであることを忘れてはならない。また、日本の会社は、メンバーシップ型であり、役員でもない外部雇われ労働者が正社員と非正規に差別され社員といわれる正社員文化であるが、労働力は常に代わりのあるもので、使い潰しては代えていくという資本の論理はあくまで貫徹されている。
それは、日本人がうつになればなるほどますます外国の強欲薬品メーカーの金になる構図である。さらに、うつになるものは追い出し部屋行きなど追い出し対象になるのが日本型経営である。そして、キャパ越えをしたら、身を引いて、仕事量を減らして復帰していくのがこの復活の経路である。ここでの、成功の程度と内訳がアメリカンドリームのそれではない点に注意がいる。
また、佐藤さんは、資本主義における協業と分業の区別をマルクスから引用し、がんばれというかけ声も協業、労働者間の共同作業における競争原理の産物で、そこでは、あくまで他人と自分の無関係性が前提になっていることをご指摘される。がんばっては、あくまで他人事、若いうちの勤労が肥やしになるというのは、誰にとってかというと管理労働者たち、他人の肥やしになってしまうことを意味する。アトム化された個人間が競争と成果主義で分化され社会的団結の機能が労働者側から喪失されている。
佐藤さんは、個人対組織戦においてまず個人は組織に勝てないとした上で、それへの可能な勝利の形態を提示している。彼は言う。「(中略)どこで勝てるのか?それは自分の社会的復権です。だから、公判で、例えば猪瀬直樹さんのように、検察の言うようなことを丸呑みにするようなことはしません。ちゃんと抗って最高裁まで戦います。それで筋を通して、こちらは本を買いて、検察のでっちあげたストーリーと対峙させる。あとは社会的に判断してもらおうと。こういうやり方しかないわけです。」(本書、P.51)全く正しい個人による闘争の態度である。個人が組織と戦う時は、断固として組織側の論理を排し、個人側の主張を堅持し、最後まであらゆる手段を尽くすことである。この態度、行動自体に価値と救いがある。佐藤さんがご指摘されるように、会社組織というものは基本的に上の味方であり、労働者の側にはつかない。
佐藤さんは、相談以前に、自分で問題を全て思いつく範囲で書き出して対象化し、ノートにまとめて深く理解すること、何が問題なのかを論理を明確化する必要性を提言される。書くということで、問題解決の道筋がつくし、それである程度問題は解決したに等しい。後は、その鉄の論理を貫けば良い。
本書では、様々な社会的立場における人たちへの逆境の切り抜け方が佐藤さんと石川さんにより提供される。例えば、うつ病とは、実際は抗うつ剤の売買のためにあれこれの名称で病気化される人間の精神の鬱屈状態であり、元々気分は浮き沈みがある。この前提の上で、佐藤さんはうつに関する会社のマニュアルに従わず、自分で信頼できる医者を探しまわり、すぐに薬投与をしたがらない、話を良く聞ける医者を見つけることを薦める。日本は、米国の抗うつ剤業界最大のマーケットであることを忘れてはならない。また、日本の会社は、メンバーシップ型であり、役員でもない外部雇われ労働者が正社員と非正規に差別され社員といわれる正社員文化であるが、労働力は常に代わりのあるもので、使い潰しては代えていくという資本の論理はあくまで貫徹されている。
それは、日本人がうつになればなるほどますます外国の強欲薬品メーカーの金になる構図である。さらに、うつになるものは追い出し部屋行きなど追い出し対象になるのが日本型経営である。そして、キャパ越えをしたら、身を引いて、仕事量を減らして復帰していくのがこの復活の経路である。ここでの、成功の程度と内訳がアメリカンドリームのそれではない点に注意がいる。
また、佐藤さんは、資本主義における協業と分業の区別をマルクスから引用し、がんばれというかけ声も協業、労働者間の共同作業における競争原理の産物で、そこでは、あくまで他人と自分の無関係性が前提になっていることをご指摘される。がんばっては、あくまで他人事、若いうちの勤労が肥やしになるというのは、誰にとってかというと管理労働者たち、他人の肥やしになってしまうことを意味する。アトム化された個人間が競争と成果主義で分化され社会的団結の機能が労働者側から喪失されている。
佐藤さんは、個人対組織戦においてまず個人は組織に勝てないとした上で、それへの可能な勝利の形態を提示している。彼は言う。「(中略)どこで勝てるのか?それは自分の社会的復権です。だから、公判で、例えば猪瀬直樹さんのように、検察の言うようなことを丸呑みにするようなことはしません。ちゃんと抗って最高裁まで戦います。それで筋を通して、こちらは本を買いて、検察のでっちあげたストーリーと対峙させる。あとは社会的に判断してもらおうと。こういうやり方しかないわけです。」(本書、P.51)全く正しい個人による闘争の態度である。個人が組織と戦う時は、断固として組織側の論理を排し、個人側の主張を堅持し、最後まであらゆる手段を尽くすことである。この態度、行動自体に価値と救いがある。佐藤さんがご指摘されるように、会社組織というものは基本的に上の味方であり、労働者の側にはつかない。
佐藤さんは、相談以前に、自分で問題を全て思いつく範囲で書き出して対象化し、ノートにまとめて深く理解すること、何が問題なのかを論理を明確化する必要性を提言される。書くということで、問題解決の道筋がつくし、それである程度問題は解決したに等しい。後は、その鉄の論理を貫けば良い。
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